みなさん、こんにちは。イラン・イラク派遣団の一員として太田幹事長代行と両国へ行っておりましたが、昨日午後3時無事成田空港に戻って参りました。現地へ行っている間、多くの方が無事を祈ってくれていたことを知り、感謝の思いでいっぱいです。本当にありがとうございました。
私はかなり海外旅行慣れしているのですが、今回はかなり時差ボケ状態から抜け出せ ません。おそらくイラクの現地視察で3日で3000キロを走破するハードスケジュール をこなし(ま、自分で組んだんですが=私より20以上年上の太田さん、すいません)、その後イランに戻り、帰りの飛行機がまた英国ロンドン経由であったため、疲 労の蓄積と体内時計の狂いが重なり合って、久しぶりに時差ボケの襲撃にあっている ようです。
それでも、今日の夕方は山梨県大月市での時局講演会とその後青年を対象にした政治学習会をこなして東京に戻ってきましたので、体力的にはだいぶ回復してきました。
私たちのイラン・イラク訪問の際の活動については、公明新聞に連日報道していただいたようで、公明党のHPでもだいたい概要はわかっていただけると思います。ただ、今回の視察は本当に盛りだくさんな内容で、新聞でカバーされていない貴重な経験も多くありました。
たとえば、私たちは武装集団に銃撃され、12個の弾痕が残るNGOの車両を見ました。ドライバーの人によると、幹線道路を走っていたら突然800メートルほど先に小銃を持った人影が現れ、銃撃をしてきたとのこと。とっさに彼は、体を沈めてブ レーキを踏み、バックにギアを入れて後進したらしいのですが、相手の仲間が今度は横の茂みから3?4名出てきて、これも車めがけて銃撃してきたというのです。間一髪で難を逃れ、彼も3人の同乗者もひとりも怪我することなく戻ってきたそうですが、 車両をみた私たちにとっても、あれだけ撃たれて全員生還したのは奇跡としか思えない話でした。
それでも私たちが主に回ったイラク北部の治安はかなり安定していました。イラク北 部は別名クルド人自治区と呼ばれ、12年前から事実上サダムフセインの支配下からは ずれ、内部の勢力対立はあったものの自治を確立していました。そのため、サダム政権の崩壊が直接地域の統治機構や公共サービスに影響することがなく、治安も維持さ れているのです。上の銃撃事件は、バグダッドからキルクーク(ここは、北部だがク ルド人自治区ではない)へ向かう途中に起こったとのことでした。
バグダッドとクルド人自治区を何度も往復している現地人との会話からは、バグダッドやその周辺の治安が悪化している様子がはっきりと理解できました。米英軍がサダム独裁政権を倒したことに関しては、多くのイラク市民が当初大歓迎したとのこと。しかし、その後、略奪が横行し、仕事もなく、公共サービスもなかなか復旧しないた め、市民のいらだちが高じ、今では「サダム時代のほうがましだった」という声さえ もれるようになったというのです。
また、サダム・フセインの生死が不明であることで、その生存に望みをかけるバース 党の残党などが再組織化して、占領軍に対する武力行動を始めているという事情もあ るようです。
とにかく、イラクではまだまだ武器が社会に蔓延していることも問題です。共和国防 衛隊は、まともに同盟軍と戦わずに雲散霧消しましたが、その兵士の数は400万人と言 われており、彼らはまだカラシニコフ(AK47)などの小銃を携行して潜んでいると いわれています。また、サダムが戦争直前に380万丁のカラシニコフを一般市民に 配ったという情報も聞きました。このまま暫定政権もできず、公共サービスの復旧が 遅れ、仕事もない、食料もない、という状態が続くと、これらの武器を使用して自ら のサバイバルを図ろうとする市民が増えても不思議ではないかもしれません。この点 は、米国政府もよく認識しているようで、私たちが滞在中に、武装解除のスキームが 開始されていました。この成否も、今後のイラク内の治安状況を左右すると思いま す。
私たちは、いくつかの難民キャンプも回りましたが、保健衛生上の環境の劣悪さは筆 舌に尽くしがたいものがあります。それでも私たちが案内されたところは、日本の人 道支援NGOピースウィンズ・ジャパンの支援が入っているところなので、ほかの キャンプよりベターなんでしょうが、とにかく日中の最高気温45度の中で冷房もな く、屋根はテントの仮住まいで多くの家族が暮らしていました(45度の気温は生ま れて初めて体験しましたが、暑いというより、「痛い」ですね)。とにかく、難民の 支援や医療支援を早急にやらなければならないと痛感しました。
医療支援といえば、私たちはキルクークやモスルなど、サダムの支配下にあった北部 都市の病院もいくつか視察しました。報道で知ってはいましたが、実際に視察して驚 いたのは、病院が徹底的に略奪されていたことでした。蛍光灯から電気のプラグか ら、もう手でもてるものは、何でも全部もっていかれているのです!長い経済制裁と サダムの抑圧政治の中で人々の心がどうなったのか、それを象徴する状況でした。
それからモスルでは、米軍の空爆跡も見ました。現地の説明では、おそらくトマホー クミサイルで破壊されたであろう建物の跡地に立ちましたが、小さなクレーターがで きていて、建物自体は影も形もありません。その建物はサダムの治安部隊関連施設 だったとか。あらためて米国の軍事力の強大さを認識させられました。
ほかにも書きたいことはいろいろあるのですが、時差ボケを直すためにも今夜はこの 辺で失礼したいと思います(現在午前2時半)。週明けの月曜日には、太田さんと総理官邸に行って視察の報告をする予定です。国会も延長されるようですし、有事法制 が終わったと思ったらイラク新法も出てきましたし、心身のリズムを戻してまた全力 で頑張りたいと思います。