みなさん、こんにちは。年金法案の成立の話、思いのほか長くなってきてしまったので、そろそろまとめたいところです。
<3党合意したのに「廃案」?>
衆議院本会議は年金改革関連法案が通過したのは5月11日でしたが、その際民主党は法案には反対したものの、3党合意に基づいて修正案には賛成しました。最大のポイントは、将来の一元化のあり方について与野党協議機関を設けて議論をするということと、衆参の厚生労働委員会の下にも小委員会を設けて社会保障全体について議論することに合意したことでした。
この動きは一部のマスコミからも「民主党は自らの対案にこだわるより、政府与党案の修正を勝ち取る方針に変えたのかもしれない」と解釈され、与党内にも相手との協議に応じる気配も出てきました。
ところが、その直後誕生した岡田執行部は「年金法案を参院で廃案に追い込む」と発言しだしたのです。選挙を前に与野党対決ムードをあおることが、自分たちに有利だと判断したのでしょうが、だったらなぜ衆院で与党と合意をしたのか、私にとっては非常に不可解でした。まして新代表に就任した岡田氏は、前幹事長として3党合意に署名した張本人なのですから、あまりの短期間の「ぶれかた」に永田町ではすでに失笑がもれていました。
<参院での審議は充実>
民主党新執行部の態度硬化を受けて、私が理事を務める厚生労働委員会の空気も当初から非常に厳しいものになりました。ただ、与野党の理事同士の間では、早い段階から衆院のように審議拒否をやることは国民からみて納得できないから正々堂々と審議をやろう、という意思統一はできていましたので、審議自体は何とか続けることができました。
ただ、理事会や理事懇談会はなかなかまとまらないことが多く、時には1日6度、7度と開かれ、野党理事と厳しい交渉をしながら、1回毎の委員会開催を決めていきました。振り返ってみれば、1度も空転することなく委員会を開催できたので、順当に行ったといえるのですが、その過程ではかなり精神的ストレスの重なる会議を続けていました。理事協議の中身は非公開なので国民のみなさんにお伝えできませんが、非常に形式的な小さな問題で何時間も話し合ったり、感情的に叫ぶ人(私もか?)が出たりして、とても疲れることが多かったです。「司馬遼太郎氏が描いていた江戸幕府の評定の現場もこうだったのかな?」と感じたほどです。
特に私たち与党理事が辛かったのは、野党理事のみなさんの未納問題への追及が執拗だったことです。参院審議が始まってから、厚生労働副大臣両名の未納・未加入問題、小泉総理の議員になる前の未納・未加入問題がクローズアップされたので、毎回の理事協議で私たち与党側は釈明におわれました。また、小泉総理の年金加入記録を閲覧したいという野党の要求をめぐって神経をすり減らしたりしていました(結局閲覧は実現しましたが、いまだにどんな意味があったのかわかりません)。
確かに国民の多くが議員や閣僚の未納問題に怒りを覚えていたことは事実ですし、それを私たちは重く受け止めなければなりません。しかし、総理のように議員になる前のことまで詮索して貴重な国会の審議時間をいたずらに浪費することが、果たして国民の期待に応えることになるのか、疑問です。
ともあれ審議は毎回6時間程度取り、その中ではかなり充実した審議が行われました。野党の委員も文句を言いながらも出席し、なかなか深い見識に基づいた鋭い質問を法案に対して行う議員もおりました。私も何度も質疑に立ち、色々と質問すると共に、政府に苦言を呈することもありました。そして審議時間が30時間を越え、選挙をひかえ延長ができない国会会期末が近づいてきたこともあり、6月3日の委員会採決となったのです。
<長い夜、2004年6月4日?5日>
参院の審議の中で、いくつか政府与党案の数字をめぐって紛糾したポイントがありました(これらの問題については、いつか機会があれば書きたいと思います)。野党やマスコミの一部はそのたびに「欠陥法案だ」と騒ぎ、その影響もあってか、国民の多くのみなさんの理解がなかなか得られないまま採決を迎えたのは事実かもしれません。しかし、私は国民の年金不信への最大の理由は国会議員の未納問題であり、法案そのものの中身ではなかったと感じています。今回の法案は100%完璧だと言うつもりはありませんが、しかし今までの年金制度を抜本改革し、100年という長期間にわたって初めて財政計算して設計した法案として基本的に高く評価できると思っています。
さて、6月4日金曜日に参院本会議で年金法案の採決が議題となりましたが、抵抗する野党は長時間演説をする「フィリバスター」や先祖がえりの「牛歩戦術」(牛のようにおそく歩くこと=単に皆が疲れるだけ)を実行し、時間稼ぎに終始しました。それが延々と続いて夜になり、一旦休憩。そして日をまたいで5日の深夜0時11分に再開し、まず厚生労働委員長の解任動議(野党提出)を否決しました。その後午前4時20分に再開になったのですが、そこで珍事件がおきます。野党が参議院の議長不信任案を提出したため、本岡副議長(民主党出身、現在無所属)がその不信任案の採決をとり仕切るために議長席に座ったのですが、いきなり「散会宣言」をしたのです。
この散会宣言を受けて、野党議員は「ウォー」と叫び、席を立って本会議場から出て行きました(一部は様子見のため残留)。本岡副議長も事務局が「(それは)できません」というのを振り切って退場してしまいました。野党議員は鬼の首でも取ったかのように、喜色満面で議場を出て行ったのが印象的でした。参院本会議場を2階席で傍聴していた岡田代表は、万歳をしていたらしいです。が、彼らの歓喜も長く続きませんでした(というか、たったの約10分でおわり。はやすぎ!)。
与党側はこの副議長による「散会宣言」戦略を事前に知っていました(というか、共同通信の速報で本会議が始まる前から流れてたんですけどね。ばればれです)。そこで対応を準備していたのですが、参議院規則82条には、「議事日程に記載した案件の議事を終わったときは、議長は、散会を宣告することができる(後略)」と明記されているので、「議長不信任案の採決」という議事が終わっていないのに「散会宣言」をしてしまった副議長の発言は、無効となります(そもそも野党は自分たちで議事をあげておいて、その議事を終えずに散会宣言するなど、またまたお得意の自己矛盾です)。
そこで副議長が退席してから10分後には倉田議長が戻り、無効を宣言します(残留していた野党議員が激しく抗議するも、与党議員の「帰れ」コールであえなく撃沈)。ただ、議長も不信任案の対象でその議事を処理することはできませんので、国会法第22条「各議院において、議長および副議長に共に事故があるときは、仮議長を選挙し議長の職務を行わせる。」とありますので、仮議長の選任手続きを始めました。
この大失態に民主党の議員は意気消沈し、かといって議場に戻ると「散会宣言」の非を自ら認めることになってしまうので、そのまま朝の永田町から消えてしまいました。その後7時39分から本会議が再開され、与党と共産党議員出席のなか、仮議長選任、議長不信任案否決、厚生労働大臣問責決議案否決とつづき、ついに6月5日9時6分、年金改革関連3法案が成立しました。 私はその後目を真っ赤にして羽田空港へ行き、その後沖縄県議選最終日の応援に入りました。その翌日の沖縄県議選、公明党は大勝利!本当にありがとうございました(が、疲れました)。
<酷評された民主の国会対応>
この混乱国会については、いつも政府与党側に厳しいマスコミも、さすがに民主党にあきれたようです。読売新聞社説(6月8日付)は、「年金問題で与党との対立姿勢を強めれば、参院選を有利に戦えると考えているのだろう。(中略)民主党出身の副議長の「散会」宣告こそ、党派の利害をむき出しにし、混乱を助長したのではないか。この問題では、共産党も「副議長の散会宣告には無理がある」としている。」と書いています。また私がもっと驚いたのは民主党の国会対応の知恵袋といわれる平野貞夫参議院議員さえ冷たく批判していたことです。
平野氏いわく(朝日新聞6月6日2面)「議長の不信任案は国会で最も重要な案件なのに、採決妨害のために散会を宣言したのは問題だ。しかも、年金法案を廃案に追いやるのではなく、成立を早めただけに終わった。秘策ではなく愚策だ。」平野氏も今や民主党の幹部なんだから、終わってからこんなこと言うのだったら、やる前にしっかり党内議論してほしかったと思うのは私だけではないでしょう。
パフォーマンスの民主党、ブラウン管政党・民主党(テレビの中にしか存在感がないという意味)、というのは定番の評価ですが、もうここまで来ると茶番劇の民主党というしかありません。私は個人的に高く評価する議員もたくさんいる野党第1党だけに、残念で仕方がありません。