みなさん、こんにちは。東京は、ようやく秋らしくなってきました。特に夜は涼しくなって、汗かきの私はかなり助かっています。(しかし、冬はウォーム・ビズになるのでしょうか?)
<通勤電車の中で>
今朝も地下鉄丸の内線の電車に乗って「荻窪」から「国会議事堂前」まで通勤しました。電車に乗ると、どうしても周囲の人たちの行動が気になるわけですが、最近私が感じていることが何点かあります。
ひとつは、昔にくらべて「マンガ本・雑誌」を読んでいる人が少なくなったことです。私が大学生だった頃(15年ほど前)は、電車に乗るとマンガ雑誌を読んでいる人が非常に多くいた記憶があります。当時、自分も自宅では流行のマンガを読んでいたのであまり文句を言うつもりはありませんが、それでも立派な大人がスーツを着て堂々と電車の中でマンガを読んでいる姿はあまり快い光景ではありませんでした。この光景は、最近なくなりました。(ただし、路線によっては、まだあるのかもしれませんが。)
最近私が目にする多くの通勤客は、活字の本や資料を読んでいる人が圧倒的に多くなっています。「活字文化が衰退してきている」という話は、最近よく耳にしますが、少なくとも電車の中には、活字文化は躍動していると思います。もちろん新聞・雑誌も活字文化に入るでしょう。
それから、もう一つ、ここ数年電車通勤してやや驚いているのは、外国語を勉強したり、外国語の本を読んでいる人が増加していることです。もちろん、日本人が、です。例えば、今朝も最初に私の隣に座っていた女性は、英会話の勉強をしていました。そして、その方が途中で降りて、代わりに座ったやはり女性の方は、イタリア語(らしき外国語)を勉強しているのです!
今日だけに限らず、また勉強家の女性の通勤客に限らず、英文小説や英字雑誌・英字新聞を読んでいる通勤客は、ほぼ毎日私は目にします。素朴な話かもしれませんが、このような電車の中の風景に、深い変化を感じています。日本の国際化が叫ばれて久しいわけですが、日常的な風景の中に自然に外国語を学んだり話したりする姿があるということは、底流で国際化が進んでいる何よりの証拠ではないか、と私は思うのです。
<継続は力なり>
電車の中の学習、というと、思い出すのは評論家・作家の加藤周一氏が以前書いていた著作です。たしか加藤氏の読書術について書かれた本だったと思いますが、「とにかく本を読むのに、場所や姿勢にこだわってはいけない」という趣旨のことが強調されていました。そして、具体例のひとつとして、往復の電車の通勤時間のみの学習でラテン語(きわめて難解な古語)をマスターした人の話が取り上げられていたように記憶しています。(30年以上かけてだったとは思いますが。)
「継続は力なり」とは、私が通っていた青森の中学校の標語でもあり、大好きな言葉なのですが、学習ということを考えると、まさに継続にまさる王道はないように思います。社会に出て忙しい生活を送るようになると、特にそうです。色々なことを勉強したい人が多いのですが、意外にまとまった時間をとることができない問題に悩んでいる人は多いものです。私も国会議員になって一番辛いのは、読もうと思って買ってきた本が、ずーっと書棚で寝てしまっていることです。
そういう意味では、「電車に乗ったら本を読む」など、自分の生活習慣で毎日やることに合わせて時間確保を決めておくのは非常に効果的な作戦です。ちなみに、私にとってはトイレも貴重な学習時間になっています。必ず本を読むようにしているのですが、短い時間であっても以外に馬鹿にできません。実際私は何冊も「トイレ読書」で読破できました。(最近のヒット作は、経済の基礎用語の解説書です。1項目が適度な時間で読めるので、続けやすかったです。)この手法は、個人で好き嫌いがあるとは思いますが、トイレに通う回数の多い方ほど、お勧めです。
<学習と年齢:坂本竜馬の場合>
ところで、私が最近電車の中で読んでいるのは、有名な司馬遼太郎の作品『竜馬がゆく』(全8巻)です。この作品は、大学時代に大好きで4年間で3回ほど読んでいたのですが、最近また読みたくなって読み始めました。主人公は、幕末風雲の志士のひとり、坂本竜馬です。著者の司馬遼太郎氏は、この作品を書くにあたって膨大な歴史資料を調べたそうで、非常に読み応えのある、そしてまた幕末から明治維新にかけての日本社会の劇的な変化がよくわかる大作で、読まれている方は多いと思います。
私は今ちょうど第2巻の中間なのですが、竜馬が江戸に剣術修行に行き、北辰一刀流の免許皆伝を取って、故郷の土佐・高知に戻ってきた後の様子が書かれています。竜馬は、現代で言うところの学校教育をまともに受けておらず、幼少の頃は周囲から「馬鹿」扱いされて、自分も「全く学問には向かない」と思い込んだまま大人になり、剣客として一流になって故郷に戻りました。家族や周囲の人間は、地元で道場を開くことを進めますが、竜馬はそれを拒み、自分が江戸留学時代に経験したこと等を基に、風雲急を告げる時代背景の中で社会を動かす力のある人間になりたいと、学問を志します。その年、すでに25・6歳。
現代でさえ立派な社会人の年齢ですから、当時では中年に近い年といっても過言ではありません。しかし、竜馬はその年からまともに勉強というものに取組み、急速に世の中のことを理解していきます。その後、旧態依然たる土佐藩を脱藩し、日本の改革に奔走することになるわけですが、司馬遼太郎も書いているように、帰郷後の竜馬の短期間の自主学習が彼のその後の活躍の基礎を作りました。
「生涯学習」という言葉がありますが、志があれば、何歳でどんな勉強を始めても遅くはないと思います。竜馬以外にも、古今東西の歴史を紐解けば、かなり大人になってから学んだことを活かして社会に貢献した人物は、枚挙にいとまがありません。今回の選挙で多くの新人議員が誕生しましたが、すでに議員になっている人も含め、私たちこそ国民の代表として「生涯学習」の姿勢を忘れてはならないと思います。